コラム▼3▼なぜ宿題を写すことを許容するのか?

 著作権フリー感想文というものをおきながら、「宿題はなるべく自分でやりましょう」なんていっているわたしはなんだか矛盾している奴に思えるかもしれません。しかし、わたしにはわたしなりのメッセージがあってこういうことをしています。それをみなさんにお伝えしたいと思います。

 今、高度情報化社会です。インターネットはパソコン通信界の予想を裏切って驚くほど普及しました。タダでインターネットができるところも沢山でき、個人のパソコン所有数も結構増えました。小学生も中学生もネットができ、高校生がウィルスを全世界にばら撒く時代です。
 そんな中、情報倫理というものがさかんに言われるようになりました。わたし自身は興味がないので詳しいことはわかりませんが、情報化はいいことばかりではない、ということは身にしみてわかります。

 韓国では宿題を50円でやってくれるサイトというのがあるらしいです(Sma STATIONからの情報)。それを見て、これは日本にもいづれ同じようなサイトが現れるだろう、とわたしは思いました。子供たちを情報化社会の食い物にしている。当時自分も子供だったわたし(今も子供だけど)は怒りを覚えました。
 しかし、情報化はとめることはできません。個人的に法的な規制というのはネットではあまり意味を持たないと思っています。であれば、情報を得る人々自身が学ばなければなりません。
 あふれる情報の中から、良い情報悪い情報、必要な情報不必要な情報、得るべき情報捨てるべき情報、を取捨選択する力を子供たちにつけてほしい、とわたしは思います。
 わたしがやらなくても、どこかの誰かが「宿題をやってあげる」という甘いささやきをし始めることは目に見えています。ならば、その提供をまっさきにわたしがしようじゃないか。読書感想文のサイトは今でこそ増えましたが、わたしがこのサイトを始めたころはyahooで検索しても2、3しかありませんでした。わたしにはそういったことから起因する何かの自負がありました。そこで、著作権フリー感想文をはじめたのです。

 わたしはみなさんに考えてほしいのです。耐えてほしいのです。

 そこに「写してもいいよ」という宿題があります。みなさんは、利用しますか?

 利用できるものは全部利用する、そういう考え方もあります。けれど、みなさんには想像してほしいです。

 一生懸命本を選んで、一生懸命本を読んで、その一字一句を逃すまいと必死にかじりついているお友達がいます。そこから感じたことを言葉にするのが大変で、何度も何度も紙にいろんなことを箇条書きにしては、消して、どれが自分の中で一番大きいものか、伝えたいものか、それを考えているお友達がいます。原稿用紙の使い方がわからなくて、両親に聞いたり、先生に電話したり、本で調べたりしながら、必死で鉛筆を動かしているお友達がいます。文章を何度も何度も直したせいで、真っ黒くなった原稿用紙を眺めながら、真新しい原稿用紙に写しているお友達がいます。
 そして、先生に自分ががんばったことを、作品として見せたいと思っているお友達がいます。

 みなさんは、どうでしょうか?ネットで見つけた感想文を印刷して、原稿用紙に写して、先生に出して、それなりの成績をもらいます。同じようにがんばって書いた人も同じような成績でした。もし、がんばった人が、同じ成績で人のを写した人がいるということを知ったら、どんな気持ちがしますか。そういう人が一人でもいるんだ、ということをこのサイトに来て知った人は、どう思いますか。
 先生が一人一人の感想文をじっくり読んで、この子はこんなことを考えていたのか、と深く生徒一人一人に対して思いを寄せています。その感想文が全く赤の他人のものだと知ったら、先生はどんな思いがしますか。一生懸命ものを考えている子なんだと感心していたのに、裏切られた気持ちがしませんか?

 わたしの感想文をちょっと拝借したら、先生に賞に出された人がいました。どうしても断りきれませんでした。でもその賞には沢山の人に自分の考えを知ってもらいたくて一生懸命書いた人が沢山応募しているのです。その人たちはどんな気持ちがするでしょう。

 まじめにやる人をバカにする人もいるかもしれませんが、どういった気持ちがするか、ぐらいは考えてほしいです。考えた上で、それでも自分は要領よく生きたい、簡単に生きたい、と思っているならば、誰も止めません。
 けれど自分は「悪いことをしている」という実感は持ってほしいです。沢山の人の気持ちを裏切っているずるいことをしているという罪の意識を持ってほしいです。気軽に写させてください、なんていわないでほしいです。

 そこにあるものを、自分で選ぶ力をみなさんに持ってほしいと思っています。
 たとえそれが楽な道でも自分にとって納得のいくことなのかどうか、ほかの人が納得がいくことなのかどうか、深く考えてください。
 たとえ、ネットで気軽に他人をおとしめることができたとしても、自分で自分の正義を貫く勇気と忍耐があれば、情報化社会なんて、ちょっと便利になっただけに過ぎないのです。

 なぜ、宿題を写すことを許容するのか。その答えは、
「たとえ誰かが許しても、一人でも許してくれない人がいると想像できたなら、自分でそれを許さない、忍耐と想像力と、思考力をつけてほしいから」
です。

 もし、甘い言葉に甘えてしまったなら、あなたはその罪を背負って生きてほしいし、自分はそういった人間なんだという自覚を持って下さい。そういった自覚を持てたら、それは「自分で自分を戒められるあなた」になるための第一歩です。




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