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2(8月23日アップ)

  「世界がもし100人の村だったら」を読んで

 日本人が豊かで恵まれている、ということは大多数の人が知っていることであろう。普段の生活でそれを意識することはなくても、ニュースなどで飢餓に苦しむ人や、空爆で命が危険にさらされている人をよく見る。わたしも漠然と、自分は幸せだな、などと思ってきた。しかし、実際に貧しい人がどれほどいるのか、飢餓や病気に苦しむ人はどれくらいなのか、といった具体的な数字はわかっていない。この本はそんなわたしの知的欲求を満たしてくれるのに、ちょうど良いものであったのだ。
 百人のうち五十二人が女性、四十八人が男性・・・から始まり様々な数字が示されていく。
 驚いたのは、十人が同性愛者ということである。わたしのクラスには四十人の人がいるが、そのうち四人が同性愛者であるという計算になる。テレビなどでは同性愛者を揶揄する事が多いが、わたし達の反応をもっと見直さなければならないなと思った。
 また大学に行っているのが一人というのも意外である。わたしはこれから大学へ行こうと勉強しているわけだが、それが特別なことであると心に留めておかなければならないだろう。
 百人のうちに十人が栄養不足で一人は死にそうだが、十五人は太りすぎ。富を六人が五十九パーセントを占め、二パーセントを二十人が分け合っている。コンピューターを持っているのは二人、しかし十四人は文字が読めない。
 日本は、わたしは、本当に恵まれているなと改めて気付かされる数字が並ぶ。わたしはたくさんの人を踏みつけにした上に、この幸せな生活をしているのだろう。命に危険がさらされていないということの、貴重さを深く感じる。
 きっとこの本が話題になったのも、読んだ人がみんな「自分はなんて幸せなんだろう」と感じたからではないだろうか。分かっていながらも、実際の数字を目にするとショックを受ける。そして、日本に生まれてよかった、と思いながら難民募金に十円玉なんかを入れるのだろう。
 わたしも勿論そう思った。自分は幸せで、とてもわがままだ。何かしなくては、という気になる。
 しかしこの本に、大人の偽善というか綺麗事というのを感じてしまった。
 世界には学校に行けない人がたくさんいる。だから学校へ行きなさい。食べられない人がいっぱいいる。だから残すな。この本の元々は学校の先生のメールだというが、なんとなく先生らしい無言のメッセージである。わがままを言うな、我慢しろ、そういう大人の無言の圧力を感じるのである。
 雑誌などの感想欄でも、この本を読んで「自分は幸せだと思った」という字がならぶ。でもそれってなんだか変だ。実際に募金をするなら、行動を起こしてるわけだから偽善じゃないだろうけど、でもなんかおかしい。
 日本に生まれてよかった。私より不幸な人がいっぱいいるんだなあ。可哀想・・・そういう安心感を与える為の本になってないだろうか。幸せだという安心感をこのご時世みんな求めてるんじゃないだろうか。だとしたら、この本の伝えたかったことって一体なんだろう。
 この本を読んでも「たとえあなたが、傷ついていても傷ついたことなどないかのように愛」することは、わたしには出来ない。傷ついたら自分を傷つけた人を憎む。それは平和だからか、わがままだからか。飢餓で苦しむ人がいても、食べ物を残す自分がいる。
  もしもたくさんのわたし・たちが
  この村を愛することを知ったなら
  まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から
  この村を救えます
  きっと
 本はそう結ばれている。しかし、わたしは飢えに苦しむ子供達を助ける術がない。せいぜい募金をし、何か役に立つものを送る、ぐらいである。何も出来ない。この村を愛せば非道な力から人々を救えるのだろうか。わたしが世界を救えるのだろうか。答えは否ではないか。
 わたしは、とりあえず今何が問題で人が苦しむことになっているのか、それを知ることからはじめようと思う。わたしなりの答えが出るまで、考え続けようと思う。みんなが考えたら、もしかしたら世界は変わるのかもしれない。

解説

 題名は漢数字じゃなくて、タイトルどおりアラビア数字を書きました。多分タイトルだけは、そうした方が良いかな、と思って。

 これをかこうとした動機は、スパイスの部分、みんな日本に生まれてよかったーとか思ってるんだろうケド、それってキモイ。ってなことを思いついたんで。上手くまとまらなかったのが残念です・・・上手く伝わらないかな。
 偽善って言うのは、みんな自分で良いことだって思ってるから気付かないんですよね。それってすごく恐いことです。そうそう、感想文を写させてもらうことも、どんなに丁寧な言葉づかいをしても、悪いことなんだ、ってことを一応考えてくださいね。
 2ちゃんねるでネコの虐待写真を公開した犯人の、個人情報を流すという事がありましたが、(轡田さんは「自浄作用だ」なんて呑気なこと言ってましたが)、それって良いことですか?絶対悪いことです。猫を殺すことと同じくらい、悪いことです。ネコに人権はありませんが、犯罪者には人権があるからです。被害者に人権はありますが、野良猫にはありません。残酷ですが、そうなのです(虐待されない権利はありますが。だから逮捕されたんですけど)。被害者を助けることは、犯罪者を傷つけることではありません。正義とは悪をやっつけることではありません。
 飢餓をなくすことは、食べ物をたくさん食べることではありません。学校に行けない貧困の子供達の代わりに、学校に行く必要はありません。

 考えた、その上で宿題を写すことは誰もとがめません。この感想文にもそのような事が書いてあります。偽善だって分かってるけど、でも募金しか出来ない。大事なのは、考えることです。
 みなさん、考える力って文部科学省が言うとうそくさいけど、でもインターネットでは本当につけなければならない力です。どうか、いろんなこと考えてください。考えることは感想文を書くことよりも大事なことです。感想文はあくまで結果であって、大事なのは考えることだとわたしは思っています。だから、この感想文を好きに使ってください、といっているのです。



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